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『神話的時間』 絵本、そして幼年童話(2)


『神話的時間』 絵本、そして幼年童話(1) のつづきです。

わたしと息子の絵本の読み聞かせの時間に児童書(幼年童話)が入り込むきっかけになったのは、

ギリシア神話 (子どものための世界文学の森 28)

ギリシア神話 (子どものための世界文学の森 28)
トマス ブルフィンチ(著) 深沢 真由美(イラスト) 箕浦 万理子(翻訳) 集英社

はじめてのプラネタリウム体験で星の神話に興味をもった息子のために探していて出逢ったこちらの本。
わたしのイメージするような内容のものが絵本ではみつからなくてたどり着いたのが児童書でした。

振り返えってみると『はじめてのキャンプ(林明子 著)』や『おおきなおおきなおいも(赤羽末吉 著)』で、
児童書の体を成す童話には触れたことはあったのですが(奇しくもどちらも福音館創作童話シリーズ!)、
読み手である親のわたし自身は児童書を読み聞かせに組み込んでいるという意識が当時はなくて。

まだまだ絵本の読み語りで耳で物語を聴き眼で絵を読む体験を・・・と思っていたからなのですが、
実際に『ギリシア神話』を読んでみると、思いのほか息子が楽しんで聴いている姿がそこにあり・・・
彼にストーリーを記憶したり耳で聴いた物語を自らの内にイメージする力もついていることを感じ・・・
毎夜本の中の神話を一話ずつ読み進めていくのがわたし自身とても楽しかったのもあり・・・

そんなこんなで、児童書に興味がわいてきて、調べていくと『幼年童話』というカテゴリーに辿り着き、
それに関連してこれまた何かのご縁で久しぶりに「これは!」という良書に巡り合ったのでした:

神話的時間

神話的時間
鶴見 俊輔(著) 熊本子どもの本研究会

子どもたちは『神話的時間』に生きている、と鶴見氏は語っておられます。
対して大人たちが躍起になって守って(支配されて)いるのは『近代的時間』です。

聖書を現代に生きる我々がここで読むとして、同じ意味で果たして読めるのか。
旧約聖書の時代に無文字社会を自然と共に生きていた人びとと、
高層ビルの中テレビなどにきっちり何時何分と時間を告げられ区切られる現代のわたしたち、
果たして同じ『時間の流れ』を感じることがあるのだろうか、そんな疑問が投げかけられます。

それでも、今なお『神話的時間』に生きている人々がいる、それが『子ども』なのだと。
そして、幼い子どもと付き合うことの多い女性(つまりわたしたち母親のことだと思います)は、
神話的時間を生きる、そういう機会に恵まれているのだ、と述べられています。
(男性はその機会から外されており、それがどれほど重大な欠陥かということに気づくところまで、
男の文化は育っていない、それはつまり成熟していない、という辛辣なご意見も述べられています)

 半分義務感、半分子守唄がわりくらいの気持ちで子に絵本を読んでやっていた母親が、
 ある日我が子が保育園で借りてきた『エルマーのぼうけん』という童話に出逢って気持ちが一変、
 子ども以上にわくわくした気持ちでストーリーの世界に入り込んでいった・・・

これはこの本の中で紹介されているひとつのエピソードです。
鶴見氏はこれを、神話的時間に親自身が入り込んでしまった出来事だと述べています。
はじめは親が子に対する義務感で読んでいた、つまり『近代的時間の中』で読んでいて、
子どもとの受け取り方が違いちぐはぐだったのが、親自身が物語の中に入り込んだその時から、
子どもも親も、その『神話的時間の同じ時間の中』で読んでいたということなのだ、と。 

本当にそうです。これまで息子と何度も何度もそんな時間を共有してきたのです。
絵に惹き込まれ、物語に没頭していく、、、そんな『時間のない時間』を与えられました。

『童話より前の段階がある』
G・K・チェスタートンというイギリスの文学者が著書にそう書いているそうです。
物語の中で例えば扉を開く存在が魔術師だったり王様であったりする必要はなく、
それがただのおにいさんであっても、それだけで子どもは「わっ!」と喜んだりする。
「歩く」「話す」「眠る」「駆ける」、そういうことが全部ものすごく愉快に感じられる状態があるらしい。
ことごとく一歳の子どもにとっては新しく愉快で心躍る体験なのだ、それが『神話的時間』である、と。

これも本当にそうじゃないですか!
ただただ手をグーパーするだけで、夕方のお散歩でふと見た影が長いというだけで、
瞳をキラキラさせて「わぁ!」という歓声をあげていた幼い息子を思い出すのです。
大人都合の時間にあわせようと焦ったりすると見過ごしてしまうことに神話は見え隠れしています。

 おかあさん きょうのおひさま げんきがないよ

『母の友』という雑誌に掲載された子どもの言葉、これは神話的表現だと鶴見氏はおっしゃいます。

 きが かぜを だっこしているね
 はっぱは とりを だっこするね

 ちきゅうは みんなのおかあさんだよ
 だって みんなを まもってくれるから 

これは3歳になるくらいに息子がくれた言葉たちでわたしの宝物になっています。

太陽や月や星が神々として息づき、花や風や生き物たちが微笑む世界にこどもたちは生きている。
物語の世界を自分と外の世界としての垣根なしにリアルに感じることができる。

6~7歳くらいまでの子どもたちは無垢でいわゆる『神の内』に生きているのではないでしょうか。
そしてそれはちょうど絵本や幼年童話を親子で楽しめるのと同時期であろうとわたしは思うのです。

いつまで親子で読み聞かせを愉しめるのか、これはもう神のみぞ知る、ですが。
許されるところまでわたしも息子とともに『神話的時間』の流れの中で生きていられたらと願います。

というわけで。今日までに読み語りの時間に参加した幼年童話たち:

いやいやえん―童話 (福音館創作童話シリーズ)

いやいやえん―童話 (福音館創作童話シリーズ)
中川 李枝子(著) 子どもの本研究会(編集) 大村 百合子(イラスト) 福音館書店

あまり先入観なく読み始めたら思った以上にファンタジーで最初は少し面喰ってしまった1冊。
有名な幼年童話のようですが、わたしは読んだ記憶がなくて。
絵本を読んでいるときもそうですが、親としてわたしが息子に読んであげているのに、
まるで自分がもう一度こどもをやり直させてもらえているようなそんな気分になることがあります。
保育園という設定が上手くファンタジーと現実とを繋いでくれているように感じました。
息子は『やまのこぐちゃん』がお気に入りで何度も読んではきゃはきゃは笑っていました。

きいろいばけつ (あかね幼年どうわ (33))

きいろいばけつ (あかね幼年どうわ (33))
もりやま みやこ(著) つちだ よしはる(イラスト) あかね書房

こちらは挿絵もカラフルで絵本の読み聞かせに近い感覚。文章も息子が自分で読み切れる量。
絵柄のとおりほんわかしたストーリーなのかと思いきや、胸がちょっときゅっとするようなエンディング。
わたし自身最初はほのぼの読み進めていたのに、最後にはこころが切なく揺れました。
聴いていた息子も表情やボディランゲージからきつねのこに感情移入している様が感じ取れました。
 
 おとなにとっては取るに足らないものにでも、子どもは時として全宇宙を見ることがあります。
 そして、たとえ姿、形が似ていても、それをほかのものと代えることはできないのです。
 かけがえのないものは、いつの時でもたった一つしかないということを一番よくわかっているのは、
 本当は幼い子どもであるのかもしれません

この作者のあとがきの言葉に子どもたちが確かに生きている神話的時間を感じました。

エルマーのぼうけん (世界傑作童話シリーズ)

エルマーのぼうけん (世界傑作童話シリーズ)
ルース・スタイルス・ガネット(著) ルース・クリスマン・ガネット(イラスト)
わたなべ しげお(翻訳) 子どもの本研究会(編集) 福音館書店

今読み進めているのが『神話的時間』のエピソードにも登場したこちらの童話。
まだまだ物語に入り込むところまでいけていませんが、ここからどうなるか楽しみです♪

わたしは母として子どもと生きる愉しさを享受できる機会に恵まれていることに感謝したいです。
息子と同じ目線に立ち、こころを重ねあわせることができれば、時間のない『今』を感じられるから。

読み聞かせが紡ぐものは忘れ去られようとしている『神話』なのかもしれません。

まだまだ絵本がメインではありますが、幼年童話もどんどん息子と一緒に楽しんでいこうと思います♪

+いっくん 4歳7ヶ月+

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by kakachan19 | 2015-02-09 23:48 | ■超読み聞かせ