自分の過去が子育てに反映される…
面白くもなんともない話ですが、いい機会なので、
自分の心のひっかかりをアウトプットしてみます。
わたしには母親がいません。幼少の時、離別しています。
一緒にいた時間もさほど愛されてはいなかったようです。
父は男手ひとつで十分すぎるほど愛し育ててくれました。
ちょっと…いや、だいぶ過保護ではありましたが…
自分の人生でなにかうまくいかないとき、
わたしはそれを母が愛してくれなかったせいにしました。
結婚するとき、過去を清算したくて母を探し出しました。
意外に近くに住んでいて、びっくりしたのを思い出します。
人と人は、繋がろうと思わなければ人生が交差しないものですね。
会ってみて、やっと自分と向き合えた気がしました。
すがすがしい気持ちで夫と一生を生きていく決心ができました。
それ以来、母とは会ってもいないし連絡も取っていません。
わたしも夫も子どもが本当に大好きで望んでいました。
でもわたしは同時に恐れも感じていました。
ありきたりですが、自分が母と同じになるのでは…と怖かったのです。
不安と希望を同時に抱えたまま、いざ息子が生まれてみると、
可愛くて愛おしくて…すべての心配が杞憂だったかのように思えました。
自分でも、わたしってなかなかいい母親なんじゃないかな、
と思えるような日々を、つい最近まで送っていたと思います。
息子は日々成長しています。自我がどんどん芽生え育っています。
怒りを自己コントロールできるときもあります。
でもすごくイライラして、今までの笑顔で見守るおかあさんだった自分が、
鬼の形相でひどいやつあたりをしてしまうことがでてきたのです。
そんな時、以前夫がふと口にした言葉を思い出してもやもやします。
「自分がやられたからそういう風になるんじゃないの?」
わたしの中に、無条件に子どもを愛し可愛がってくれた父の部分と、
わたしを睨み付け疎ましがっていた母の部分があるのを感じます。
このままだと、息子は混乱を抱えたまま育つことになる…
母に会って気持ちの消化は終えている(はずである)今、
わたしに必要なのは
「過去からの歪を子どもに伝えない、という強い意志を持って、
親自身も子どもと共に成長する」こと。
今回のチル大コンテンツがメインで伝えたかったであろう趣旨からは
だいぶずれた内容になりましたが、わたしにはこれが必要な振り返りでした。
強い意志…持ちたいです。いや、持たなきゃ。息子の為に。
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